📷思い出す気はなかったのに、思い出してしまう
それは、ふとした瞬間にやってくる。
朝、スマホの写真フォルダを眺めていたとき。
誰かが何気なく話した言葉のイントネーション。
流れてきた懐かしい曲。
「あの子、元気かな」
と、心の奥で小さくつぶやく。
意識していなかったのに、思い出す。
笑っていた顔。
何でもないような会話。
ちょっとした癖や口調。
もう二度と会えないわけじゃない。
だけど、もう会うことはないんだろうな、と思う。
あのとき切れてしまった縁は、どこかで確かに終わってしまったのだ。
🎐縁は、いつかどこかで切れるものだと思っていた
人間関係には、ずっと続くものと、そうじゃないものがある。
そう言い聞かせてきた。
「きっと、あれはそのタイミングだっただけ」
「いつか切れる縁だったんだよ」
「人生においてはよくあること」
そんな言葉で、自分を納得させようとしていた。
でも、実際にその別れを経験した今も、
納得できているかと聞かれれば、答えはノーだ。
どうしてあのとき、あんな空気になってしまったのか。
どこでほころびが始まったのか。
本当は、わかっているようで、わからない。
ただ、気づいたときには、もう戻れなかった。
🛋何があったわけでもない。でも、終わっていた
喧嘩をしたわけじゃない。
大きな事件があったわけでもない。
なのに、ふたりの関係はすーっと静かに消えていった。
あるとき、LINEの通知が来なくなった。
あの子のSNSに、自分の影がなくなった。
何か聞きたいことがあったけど、「また今度でいいか」と保留にして、
その「また今度」が永遠に来なくなった。
理由が明確じゃないからこそ、苦しい。
説明のつかないまま、ただ静かに失われた関係は、
心の中で長く、尾を引く。
💭「ごめん」とも、「さよなら」とも言えなかった
恋人との別れには、言葉がある。
「別れよう」
「ありがとう」
「さようなら」
でも、友人との別れには、そんな言葉がない。
だからこそ、未練がいつまでも、言葉にならずに残る。
「ごめんね」と言いたかった。
「ありがとう」も、ちゃんと伝えたかった。
でもそのチャンスは、もう二度と訪れない。
いつの間にか、言葉の橋が崩れてしまった。
誰が悪かったのかも、もうわからない。
きっと、どちらでもなかったのだろう。
ただ、終わってしまった。
📚一緒にいた時間が、本当に大切だったから
誰かとの縁が切れるとき、
よく「自分にはもう必要ない関係だったんだ」と言い聞かせる。
けれど、心の中には確かに、その人と一緒に過ごした時間が残っている。
一緒に笑ったことも、相談に乗ってくれた夜も、
不安で泣いたとき、何も言わずそばにいてくれたことも。
あれは全部、まちがいなく本物のつながりだった。
それを、いまさら「必要なかった関係」だなんて言いたくない。
だからこそ、苦しいのだと思う。
本当に大切だったからこそ、失ったときの喪失感が深い。
🌳友人という関係は、終わりが曖昧すぎる
大人になると、友達の定義が曖昧になる。
学生時代のように、毎日のように会うわけでもない。
社会人になると、それぞれの人生があって、
その中で、自然に離れていく関係も少なくない。
でも、それでも残る人は残る。
離れてもつながる人は、つながり続ける。
だからこそ、ふと途切れてしまった縁は、どこかで「意味」を探してしまう。
あの子とは、そこまでの関係だったのかな。
私は、大切にできていたんだろうか。
別れを経験するたびに、自分自身の輪郭もまた、少しずつ削られていくような気がする。
✉いつかまた会えるかもしれない、でも
「また、どこかで会えたらいいね」
そんな風に思うこともある。
街で偶然ばったり再会したり、
誰かの結婚式で顔を合わせたり、
何かのきっかけでまた連絡を取るようになったり。
そんなドラマみたいな再会を、
どこかで少しだけ期待している自分もいる。
だけど現実は、案外そういう偶然が起きないまま、
何年も何年も過ぎてしまう。
再会が訪れないことも、もううすうすわかっている。
それでも、たまに夢に出てきたりするのだから、きっと心のどこかでずっと思っているのだろう。
🌅別れに意味があるとすれば、それはきっと…
別れを繰り返すたびに、思う。
人との関係は、永遠じゃない。
でも、永遠じゃないからこそ、愛おしい。
どんなに仲が良くても、
どんなに一緒に笑い合った相手でも、
人生の流れのなかで、離れていくことはある。
それを受け入れられるようになるまでに、たくさんの時間がかかった。
でも、もしあの人と出会っていなければ、
あんなふうに笑えた自分も、泣いた自分も、
きっと存在していなかった。
別れは、今を形づくるための一部。
それが、唯一信じられる意味かもしれない。
🌌忘れないでいること、それがすべてだったりする
もう会うことはないかもしれない。
もう連絡を取ることもないかもしれない。
でも、ふとしたときに思い出してしまうということ。
それだけで、あの人が自分の人生にとってどれほど大切だったかが、よくわかる。
忘れないでいること。
たまに思い出して胸が痛むこと。
それは、何よりの証なんだと思う。
別れはいつだって苦しい。
何度経験しても、慣れることはない。
でも、それでいいのかもしれない。
それだけ大事だったということだから。