一人では立ちきれない日々に、支えとなる存在があるということ
「自分のためだけじゃ、もう頑張れないな」
そんなふうに感じたこと、ありませんか?
若い頃は、「他人に依存しちゃいけない」と思っていた。
自分の人生は自分で立て直さなきゃダメだ、と。
“誰かのために頑張る”って、どこか他人軸で、危ういものだと思っていた。
でも、歳を重ねるほどに思うんです。
「この人がいるから頑張れる」って、すごく尊い。
それは甘えでも、弱さでもない。
むしろ、人として生きる上で自然な“つながり”の感覚なのだと。
🧭 自分だけを軸に生きることの限界
世の中には「自分軸で生きよう」という言葉が溢れている。
誰かに振り回されない、ブレない自分を持つ。
それは確かに大切なことだ。
でも実際にやってみると分かる。
自分だけを原動力にして生き続けるのは、想像以上に孤独だ。
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仕事でつまずいたとき
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モチベーションが上がらないとき
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何のために頑張っているのか分からなくなったとき
そんなとき、自分を奮い立たせるだけのエネルギーを、
いつも安定して出せる人なんて、きっとほとんどいない。
どれだけ強く見える人だって、
心のどこかに“誰か”の存在を感じている。
🌱「誰かのために頑張れる」ことの美しさ
「推し」でも、「恋人」でも、「家族」でもいい。
ふとした瞬間に浮かぶ顔が、今日の頑張りの理由になっていることがある。
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仕事がつらくても、推しの笑顔を思い出して乗り越えた
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忙しくて限界でも、恋人との時間を楽しみに一日を終えた
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孤独な気分の日も、家族の笑い声に救われた
「この人がいるから」頑張れる。
それって、何よりも強く、柔らかく、深いエネルギーだと思う。
誰かの存在が、自分を立ててくれる。
そういう瞬間がある人生は、きっと豊かだ。
💬「依存」と「支え合い」は、違う
もちろん、「誰かがいないと生きられない」は、
過度な依存かもしれない。
でも、「あの人がいるから、明日も生きてみようと思える」は、
立派な“支え合い”の感情。
自分を支える力の一部として、誰かの存在があること。
それは、恥じることでも、弱さの証でもない。
むしろ、自分という存在が“つながり”の中にあることを受け入れる、
人としての成熟のひとつではないでしょうか。
🔄気づいたときには、価値観が変わっていた
かつては、“誰かの存在に意味を見出す”という考え方が、
どこか危うく感じられた人もいるかもしれない。
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自立できていない証なんじゃないか
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一人で立てないなんてカッコ悪い
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誰かに依存するなんて不安定すぎる
でも、時が経ち、経験を重ねていく中で、
**「それでも、この人がいるから」**という思いが、
どれほど人生に安定感をもたらすかを知っていく。
「結局、人は人でしか救われない」
という言葉の意味が、ようやく沁みてくる。
🧩自己完結ではたどり着けない場所がある
どんなに努力しても、
どんなに内省しても、
自分一人の力ではどうにもできない瞬間がある。
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不安に飲まれそうな夜
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涙が止まらない朝
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誰にも言えない孤独を抱えたまま仕事へ向かう日
そんなとき、ふと届いたLINE、
思い出された一言、
手元にある推しグッズの存在が、
心を一気に救ってくれることがある。
そこに理屈はなくていい。
救われたという事実があるだけで、十分なんです。
🌸「人は人の希望になれる」
── それは、静かで力強い真実
たとえ何かをしてくれたわけじゃなくても、
“そこにいてくれる”だけで、心が保てる相手がいる。
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声が聞ける
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笑顔を思い出せる
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存在を信じられる
それだけで、人は前に進めたりする。
「あなたがいるから、生きようと思えた」
「あなたが頑張ってるから、私ももう少し頑張れる」
そんなふうに、人が人の希望になることは、
言葉以上に、尊くて現実的な力です。
📝最後に
自分のためだけじゃ、踏ん張れないときがある。
誰かの存在に救われることがある。
それって、決して他人軸ではなく、あなたの人生の一部になっている“支え”なんです。
「この人がいるから頑張れる」
そう思えることに、誇りを持ってください。
その感情は、あなたが誰かとつながって生きている証拠。
強さと優しさを持って、明日を生きている証です。
あなたが今日を乗り越えた理由が、
“誰かの存在”であったなら──
それはきっと、とても人間らしく、美しいことなのです。