猫みくじ「好きなことの中で感じる“帰りたさ”の正体」

帰りたいと 思ったとしても つまらなくはない 猫みくじ

📽「めちゃくちゃ楽しいのに、ちょっとだけ帰りたい」

映画館の暗闇の中。
ライブハウスの熱気の中。
おいしいディナーの席や、長く会いたかった人との時間。

心から「来てよかった」と思っている。
間違いなく、楽しい。嬉しい。感動している。

なのに、ほんのわずかに心の片隅でこう思っている。

「そろそろ終わらないかな」
「もうすぐ帰れるな」
「早く布団に入りたいかも」

この矛盾。
本当に不思議で、少し罪悪感すらある。

好きなことをしているのに。
憧れの人に会っているのに。
わざわざお金を払って、足を運んで、楽しみにしていた時間なのに。

「なぜか、早く終わってほしい自分がいる」――この正体は、何なのか。


🎢楽しいことには、“終わり”がつきまとう

好きなこと。
楽しい時間。
わくわくするイベント。

そういった体験には、最初から「終わり」がセットでくっついている。

映画にはラストシーンがあるし、
ライブにはアンコールの終わりがある。
楽しい旅行にも、帰り道がある。

どんなに盛り上がっていても、
時間は静かに終わりに向かっている
そのことを、無意識に感じ取ってしまっているのかもしれない。

だから、こうも思う。

「もうすぐ終わってしまうなら、心の準備をしなきゃ」
「どうせ現実に戻るなら、少し早く気持ちを引き上げよう」

その“心の準備”としての「帰りたさ」なのだとしたら、
それは決して冷めているわけでも、失礼なわけでもない。

むしろ、自分を守るための小さな防御本能なのかもしれない。


🧠興奮と快楽の中で、心が“飽和”することがある

人は、強い感動や刺激を前にすると、
あるポイントで“感情の飽和”を起こすことがある。

たとえば:

  • 映画の中盤を過ぎたあたりで、涙を流しているのに心がふっと離れる

  • ライブの後半、会場は盛り上がっているのに意識がぼんやりしてくる

  • 大好きな人と話しているのに、心のどこかで「ひとりになりたい」と思う

それはきっと、感情がもう充分に満たされて、
一度、静かな場所に戻りたがっているサイン。

感動や興奮は、刺激が強すぎると疲れてしまう。
だから本能的に、少し離れたくなる。

「帰りたい」は、心がクールダウンを求めている自然な反応だったりもする。


🪞自分だけの“安心の場所”に戻りたい

もうひとつ考えられるのは、
楽しい時間が終わることを“恐れている”自分がいるということ。

あまりにも心が満たされてしまうと、
終わったあとの「喪失感」が怖くなる。

だから、無意識にこう思ってしまう。

「これ以上好きになる前に、終わってほしい」
「これ以上余韻に引きずられたくない」
「帰って、また“自分の場所”に戻りたい」

好きで、楽しくて、最高なのに――
そのぶん“終わり”も痛い。

だからほんの少しだけ、先に心が帰ろうとする。
自分を守るために。


🛏本当に安心できるのは、“自分だけの静けさ”だったりする

誰かといる時間。
最高のパフォーマンス。
盛り上がる空間。

どれも大切で、尊い。

でもその一方で、
一番自分が“無防備でいられる場所”というのは、
家の布団の中だったり、自室の小さな灯りの下
だったりする。

つまり、
どれだけ楽しくても、どれだけ刺激的でも、
人はやっぱり、「自分のペース」に戻りたくなるもの。

「早く帰りたい」と思ってしまうのは、
そこに戻れる場所があるからこそ。

それは、人生においてとても大切な“安全基地”がある証でもある。


🐚「早く終わらないかな」と思ったって、いいじゃないか

楽しい時間を心から楽しむ人がいる。
最後の一秒まで余すことなく吸収できる人もいる。

でも、途中でちょっと帰りたくなる人も、同じくらい普通。

  • 感情に敏感な人

  • 一度に多くの刺激を処理しきれない人

  • 余韻を長く引きずってしまう人

そんな人たちは、
楽しんでいないわけじゃない。
むしろ、**深く感じすぎてしまうからこそ、「少しだけ離れたくなる」**のだ。

だから大丈夫。
「帰りたい」と思ったって、それは“楽しんでない証”ではない。

自分の心が、今この瞬間にどういたいか――
その声に、耳を傾けているだけなんだ。

スポンサードリンク