🕯静かに姿を消された、あの日から
気づけば、返信が来なくなっていた。
電話も出ない。会う約束も途切れたまま。
「忙しいのかも」と思っていた数日が、
やがて数週間になり、数ヶ月になった。
そして、わかった。
あの人は、もうここにはいないのだ。
言葉を交わすことなく、
感情を置き去りにしたまま、
ふたりの関係は、音もなく終わっていた。
でもそれは、
「終わった」と自分に言い聞かせるしかなかったというだけ。
🪞黙って去るのは、ただの「楽な選択」
人は皆、別れに対して臆病だ。
言いづらい。気まずい。罪悪感がある。
嫌われたくない。責められたくない。面倒なことは避けたい。
だからといって、
なにも言わずに去っていい理由にはならない。
黙って消えるのは、一番“楽”な別れ方だ。
なにもしなくていい。背を向けるだけでいい。
罪の意識からも逃げられる。
忘れるだけで、終わらせたことにできる。
でも――
その“楽さ”の裏で、
どれだけ残された側が苦しむか、考えたことはあるのだろうか。
⚖️始めたのは、ふたりだったはず
恋でも、友情でも、仕事でも。
関係は、ひとりでは始まらない。
どんなに小さな繋がりでも、それはふたりで結んだ“約束”のようなもの。
・また話そうね
・次はいつ会う?
・楽しかったよ
・また連絡するね
そういう何気ない言葉たちが、
“また続く”ことを前提に紡がれていた。
でもある日突然、その糸が一方的に断ち切られる。
始めたのはふたりだったのに、
後始末だけ、ひとりに押しつけられる。
それがどれだけ理不尽で、残酷なことか。
💭去る人は忘れる。去られた人は、考え続ける
何がいけなかったんだろう。
自分のせいだったんだろうか。
何か言ってしまったのかもしれない。
気づかないうちに傷つけていたのかもしれない。
答えのない問いが、ずっと頭の中を回る。
何ひとつ確かめられないまま、
自分を責めるしかできない沈黙の中で、人は消耗していく。
別れを言葉にしなかった人は、
罪の意識を避けられるかもしれない。
でもその代わりに、
残された人に「感情の後始末」をすべて押しつけている。
黙って去るというのは、
ただの逃げではなく、不誠実な“加害”なのだ。
📘たった一言で、心が救われることもある
「ごめん、もう連絡はできないと思う」
「気持ちが変わってしまった」
「ありがとう。でもここまでにしたい」
たとえ傷つくとしても、
“言葉で終わらせてもらえること”には、意味がある。
終わったとわかることで、人は前を向ける。
どんなに悲しくても、
どんなに悔しくても、
「これはもう戻らない」と思えるだけで、
人は、自分の足で歩き出せる。
反対に、何も告げずに姿を消されると、
心の中で関係が“終われないまま生き続けてしまう”。
🧠別れは痛い。でも、痛みのなかに礼儀がある
別れは、どんな形であれ痛い。
それは避けられない。
でも、その痛みの中にも“誠意”は持てる。
それは、
一緒にいた時間を「なかったこと」にしないという敬意。
・言葉を尽くすこと
・逃げずに向き合うこと
・感情に終わりを与えること
そうした「別れの礼儀」は、
ふたりの関係に対しても、
そして何より、自分の人間としての品格に対しても、必要なこと。
どんな関係にも、
ちゃんと「終わりの形」を与えてあげたい。
🌱あなたは、黙って去る人ではない
もし今、誰かに黙って去られた側なら――
あなたのせいじゃない。
相手が不誠実だっただけ。
もし今、自分が関係を終わらせようとしている側なら――
どうか、ちゃんと伝えてほしい。
それがたとえ相手を悲しませるとしても。
「ちゃんと終わらせる」ということは、
始まりを大切にした証でもある。
人と人の関係において、
言葉で区切りをつけることは、
思いやりの、最後の形。