🏔ゴールじゃなくて、登っている“途中”がいちばん満ちている
何かを達成した瞬間、
確かにうれしいはずなのに、
なぜかぽっかりと心に穴が空くことがあります。
賞を取った。
試験に受かった。
転職が決まった。
欲しかったものが手に入った。
けれど、その達成感は思ったよりも短く、
**「で、次は?」**と、自分に問いかける声が聞こえてくる。
一体、“満たされる”って、どこにあるんでしょうか?
🌄人生の充実って、「何かを達成した瞬間」じゃない
多くの人が、「人生のピークは成功したとき」だと信じています。
確かに、成功はわかりやすい。
目に見えるゴールがあれば、そこに向かって走れるし、
結果を出せば拍手も称賛もある。
でも――不思議なことに、本当に満ちている瞬間って、
その“結果”そのものではなかったりするんです。
心がふとあたたかくなるような、
「生きてるな」と感じられるような、
そんな感覚が一番強くなるのは、“まだ途中にいる”とき。
🗺ゴールは、遥か先に小さく見えている
人生の中で、ふとある時、
とても遠い場所に、小さく光る「点」を見つける瞬間があります。
「あそこまで行けたら、何かが変わる気がする」
「今の自分じゃ届かないけど、でも、行ってみたい」
そう思える何かに、心が引き寄せられる。
そして、その点に向かって動き出した瞬間から、
「ただの日々」が、“意味のある毎日”に変わるのです。
🥾絶望と希望が混ざる、“登っている途中”という時間
その点に近づこうとすると、
必ずといっていいほど、壁にぶつかります。
やろうと決めたことが、うまくいかない。
最初はあった自信が、どこかで折れる。
周囲からの評価が思ったより得られない。
でも、それでもやっぱり、前に進もうとする。
それは、ゴールに価値があるからというより、
そこに向かう「自分の姿」が、自分で納得できるから。
実は、そんなふうに
“ちょっと絶望しながら、でもあきらめずに進んでいるとき”が、
人生で一番充実していたりするのです。
📉達成すればするほど、「次」を探してしまう不思議
一度ゴールにたどり着くと、
達成感よりも、空虚感が勝ってしまうことがあります。
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目標の大学に入ったけど、なんとなく燃え尽きた
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欲しかった肩書を手に入れたけど、モヤモヤが残る
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長年続けたプロジェクトが終わって、気が抜けてしまった
それはきっと、“手に入れる”ことよりも、“向かっていた”ことの方が、
ずっと心を満たしていたからなのだと思います。
⛰また次の“山”を見つけてしまう性(さが)
だから、人はまた探します。
次に登る山を。
次に挑むべき目標を。
また、遥か先に小さく見える“点”を。
人は、何かを「成し遂げたい生き物」ではなく、
「成し遂げようとし続ける生き物」なのかもしれません。
目指すものがあるから、今日も生きられる。
少し絶望しても、でも進みたくなる。
そんなふうに、自分の中にある**「登る性(さが)」を受け入れること**が、
人生とうまく付き合っていく秘訣なのかもしれません。
💭「また満たされなくなるんだろうな」と思っていても
不思議なことに、人はそのことをうっすらわかっています。
次のゴールにたどり着いても、
またすぐに次のゴールが見えてしまう。
そして、また“満たされなさ”に気づいてしまう。
それでも、やっぱり登ってしまう。
それは苦しみなんかじゃなくて、
「歩いている感覚そのものが生きている証」だから。
歩いている自分が、進んでいる自分が、
何よりもリアルで、生きていると感じさせてくれる。
🔦充実感は、“光に向かう足取り”の中にある
ゴールは、いつも光っている。
でも、その光が近づくたびに、形が変わる。
届きそうになると、
また別のゴールが見えてしまう。
そうやって、ゴールをすり替えながら、
私たちはずっと歩き続けているのかもしれません。
でも、だからこそ――
「今、自分は向かっている」
そう思える瞬間こそが、
いちばん満たされている。
人生の充実は、成し遂げた瞬間ではなく、
“向かっている途中”にこそあるのです。
🪞まとめ:満たされるのは、「途中」でしかない
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ゴールを達成しても、また次を探してしまう
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充実感は、“そこに向かって努力している途中”で一番強く感じる
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絶望しながら進む時間にも、生きている実感がある
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「満たされなさ」は、また次へ進む原動力になる
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結局、人は“山を登り続ける生き物”なのかもしれない
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ゴールよりも、その“足取り”が人生をつくっている
だから今日も、
はっきりとは見えないけれど、小さく光るあの点に向かって、
私たちはまた歩き始めるのです。