猫みくじ「してあげるよりやりたいからやる。見返りを期待しない」

「こんなにやってあげたのに」から始まる、静かな苛立ち

ある日、職場の同僚に頼まれて、
彼のプレゼン資料を手伝うことになった。

納期ギリギリだったのもあって、ほぼ徹夜で対応。
「ありがとう、助かった」と言われることを少し期待していた。

でも、終わったあとに返ってきたのは
「あ、あれ直してくれた?やっぱちょっと変だったな」
という一言。

その瞬間、胸の奥にひっかかるものが生まれた。
「あんなに頑張ったのに…」
「こっちは寝ないでやったんだぞ…」

そう思ったとき、ようやく気づいた。
自分は“助けたかった”んじゃなく、“感謝されたい”だけだったんだなって。


“善意”が苦しみに変わるとき

誰かのために何かをする。
それはとても素敵なことに聞こえる。

でも、その行動の中に
「やってあげてる」
「私のほうが与えている」
そんな気持ちが少しでも混じってしまうと、
その善意は一気に重たくなってしまう。

そして、もし相手の反応が
自分の期待と違っていたら――
失望、苛立ち、虚しさが一気に押し寄せる。

そうして心の中には、
「だったら最初から頼まなきゃいいのに」
という冷たい感情が残る。

でも、それって本当に相手が悪いんでしょうか?
あるいは、**“見返りを期待していた自分”**が、
勝手に傷ついているだけなのかもしれません。


「自分がやりたくてやってる」というスタンスの強さ

とても気持ちがラクになる考え方があります。
それは、**「自分がやりたくてやっている」**というスタンスを持つこと。

たとえば、

・誰かの相談にのる
・職場でフォローに入る
・家族の世話をする
・贈り物をする

こういった行為をするときに、
「ありがとうって言ってほしい」
「役に立ってると思われたい」
そんな気持ちが湧くのは、人間として自然なこと。

だけど、その気持ちが大きくなりすぎると、
行動の主語が“相手”になってしまう。

すると、自分の行動が
「相手次第」で良くも悪くもなってしまう。

でも、「自分が好きでやってる」というスタンスであれば、
相手がどう反応しようが、ブレることがない。

なぜなら、満足の根っこが“自分の納得”にあるからだ。


「してあげる」より、「やりたいからやる」へ

たとえば、小さな子どもが、
大人のために折り紙を折ってくれたとする。
ゆがんでいるし、色もバラバラ。
でもその子にとっては「自分が折りたかったから折った」だけ。

そこに「喜んでくれるかな?」という気持ちはあっても、
「これだけしたんだから、お礼くらい言ってよ!」という打算はない。

“純粋にやりたいからやる”という行動は、見返りを求めない。
だからこそ、受け取る側も、自然と感謝が湧いてくる。

不思議ですよね。
本当に「やってあげよう」と思わない人ほど、
「してくれてありがとう」と言われやすいんです。


人間関係が疲れるのは、“期待の見返り”を求めるから

恋人、家族、友人、同僚――
人間関係の中で疲れてしまうとき、
多くの場合その原因は、**「わかってほしいのに、伝わらない」**という期待です。

「これだけ尽くしてるんだから」
「私の気持ち、そろそろ気づいてよ」
「感謝くらいしてほしい」

そう思ってしまうのは仕方ない。
でも、そうやって期待すればするほど、
自分の行動はどんどん“義務”のように重たくなっていく。

だからこそ、最初からこう思えたら、ずっと楽になる。

「私は、私がしたいからやってる」
それ以上でも、それ以下でもない。


本当に優しい人は、すぐに見返りを求めない人

本当の意味で優しい人というのは、
「あなたのためを思って」なんてあまり言わない。

もっと自然に、
「自分がやりたいからやってるだけ」
「そのほうが自分も気持ちいいから」
と、自分軸で行動している人たちです。

彼らは、自分の行為がどう受け取られるかを
あまり気にしていないように見える。
でもそれは無関心なのではなく、
他人に自分の正解を委ねていないだけ。

だから、相手が期待と違う反応をしても、
笑って流せる。

「まぁ、そんなもんだよね」って。

それは、優しさというより成熟なんだと思います。


まとめ:満足の主語を「自分」に戻そう

何かをしてあげたときに、
相手が思うように喜んでくれなかったり、
感謝の言葉がなかったりしたとき。

そのときにがっかりするのは、
自分が“本当は求めていたもの”に気づくチャンスです。

あなたは本当に、
「誰かのために」それをやりたかったのか?
それとも、「そう思われたい自分」のためだったのか?

その問いは、誰かを責めるためではなく、
自分の行動に“自由”を取り戻すためのもの。

見返りがなくても満たされる行動。
それこそが、いちばん強くて、美しい与え方です。


「ありがとう」と言われなくても、
「よかったね」と言われなくても、
あなた自身が「やってよかった」と思えるなら、
それがいちばん正しい。

他人のリアクションに人生を振り回されないように、
今日も“自分がしたいからする”という選択を、大事にしてみませんか?

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