好きなことだけして生きていく”の先にある、意外な孤独
「早く仕事辞めたい」
「もっと自由な時間があれば幸せなのに」
「自分のペースで暮らしたい」
誰もが一度は、そんなふうに願ったことがあると思います。
朝の満員電車。
終わらないタスク。
理不尽な上司。
曖昧な責任。
そんな日々に疲れてくると、自然とこう思ってしまうのです。
**「もっと自由があれば、人生は良くなるはずだ」**と。
でも、その「自由」が手に入ったとき、
人は本当に幸せになれるのでしょうか?
📉ペンシルベニア大学の研究が示した、意外な事実
ペンシルベニア大学で行われた研究によると、
自由時間が幸福度を高めるのは「1日2時間」程度までなのだそうです。
自由時間がまったくない状態よりも、ある程度あった方が幸福度は高まります。
ところが、その幸福感の上昇は2時間をピークに頭打ちとなり、
1日5時間を超えると、逆に幸福度が下がる傾向が見られるというのです。
これは驚きの結果です。
「自由が多いほど幸せ」だと思い込んできた私たちにとって、
まるで**“自由の罠”**を突きつけられるような数字。
🧠自由でいることは、なぜ“しんどく”なるのか?
「自由になりたい」という願いは、
突き詰めると「他人に縛られたくない」という気持ちの裏返しです。
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誰にも管理されずに働きたい
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好きな時に起きて、好きなことだけしていたい
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行きたくない飲み会も断りたい
こういった“束縛からの解放”は、確かに気持ちいい。
実際、フリーランスや在宅ワーカー、副業生活者が増えているのも、
この「自由」への欲求の高まりによるものでしょう。
でも実は、自由にはもう一つの顔があります。
それは、「自分で決め続けなければならない」という重さ。
選択肢が多ければ多いほど、
人は疲れ、迷い、そして責任を背負わされる。
🪞自由すぎると、人は「空っぽ」になる
1日中、誰にも何も言われない。
時間も場所も完全に自分のもの。
好きに使っていいよ、と言われたときに感じるのは、
意外にも“不安”や“虚無”だったりします。
「何しよう?」
「何かやらなきゃ」
「このまま何もできなかったらどうしよう」
そしてSNSを開いて、誰かの投稿を見て、落ち込む。
「あの人は毎日あんなに充実してるのに、私は…」
結局、自由というのは“枠”がない状態です。
でも人は、ある程度の“制限”や“目的”があったほうが、
安心できるようにできている。
皮肉だけど、
不自由の中にこそ、安定や意味を感じられる瞬間があるのです。
💭思い通りにならない日々こそ、“人間らしい”
学生時代、長期休みの後半に感じる、あの「だるさ」。
あれこそが、“自由疲れ”の代表例です。
最初は嬉しい。
でも、だんだん飽きてくる。
やることがない。
罪悪感が湧いてくる。
「何やってんだろ、自分」ってなってくる。
自由すぎる日々というのは、
**自分の存在を“何で測ればいいか分からなくなる日々”**でもあるのです。
だからこそ、誰かの予定に合わせたり、
やりたくない仕事に文句を言ったり、
家族の都合で動かされたりする日々にも、実は意味がある。
不自由さの中で、自分の居場所や役割が生まれている。
🎯「自由に生きる」って、実はスキルがいる
ここで大切なのは、
「自由=幸せ」と信じて疑わない人ほど、自由に潰されやすいということです。
完全に自由な状態では、
“やる気”も、“自己管理”も、“社会との接点”も、すべて自分次第。
時間の使い方にルールがないということは、
「自分で自分をルールづける」能力が求められるということ。
これは、想像以上に難しい。
誰にも怒られないけど、誰にも褒められない。
誰にも縛られないけど、誰にも助けてもらえない。
自由とは、孤独と自己責任を抱きしめる行為なのです。
🧩不自由な中で「ちょっと自由」がいちばん幸せ?
ペンシルベニア大の研究が示す通り、
1日2時間程度の自由時間が、最も幸福度が高かったという結果は、
非常に人間らしいと思います。
たとえば、会社で一日働いたあとに、
夜の2時間だけ自分の趣味に没頭する。
休日に午前中だけカフェでのんびり読書する。
家事や育児の合間に、30分だけ一人になる。
そんな**“小さな自由”こそが、深く豊かな幸福感を生んでくれる。**
つまり、「すべてが自由」よりも、
「不自由の中にある自由」のほうが、ずっと味わい深いのかもしれません。
🌿ままならないのが、人生のデフォルト
私たちは、どこかで「思い通りに生きることが幸せ」と教えられてきました。
でも、人生はそんなに思い通りにはいかないし、
思い通りにいきすぎると、逆にどこか虚しくなる。
ままならない。
思うようにいかない。
予定が狂う。
他人に振り回される。
それらは、避けたいものではなくて、
むしろ**「人間らしさを取り戻す要素」**なのかもしれません。
📝最後に:自由を求める前に、自由を使いこなせるか?
「自由になれば幸せ」
それは、半分正しくて、半分まちがい。
自由そのものが悪いわけではありません。
ただ、自由には“扱う力”が必要なのです。
自分のために時間を使える。
誰にも邪魔されずに思考できる。
そういった自由の価値は、計り知れません。
でも、それは**“ほんの少し”あるからこそ、ありがたく感じるもの。**
完全に自由な状態では、
自分の感情や時間を“支える軸”が失われていく。
だから今日も、
少しだけ自由で、少しだけ不自由な暮らしを、
バランスよく歩いていくのが、ちょうどいいのかもしれません。









