この記事は、instagramフォロワー数50万人以上、「そのままでいい」「きっと明日はいい日になる」など累計50万部以上の著者(@yumekanau2)が執筆した記事です。
もうやめたい!会社や仕事で評価されないときに読みたい言葉
会社や仕事で評価されない、昇格できない、給料が上がらないときに読みたい言葉を紹介します。
yahoo!にも画像が紹介され、様々なコメントを頂き、評価にまつわる話を紹介します。
評価は好き嫌いで決まる
他人の評価なんて正しい事の方が少ないからなぁ。感情で評価されてるケースがほとんどで、真実は後回しになってるでしょ。好き嫌いで評価っていうのが世の中の常なんだよ。他人の評価でがっかりする必要なんてない。他人が評価してるのは、自分の頑張りじゃなくて他人が感じた気持ちよさの大きさなんだから。仕事のできる部下=将来的に自分の地位を脅かす存在って致命的思考の持ち主が実際多いからな?故にワザとボンクラを重用する。お山の大将でいたいわけだ・・・総務・人事課に慧眼持ちがいないとほぼ詰む。
前の職場の上司は少しぐらいどころじゃないレベルで好き嫌いで判断してましたね好きな人は人を殴ろうがお咎めなし。「殴られるやつには殴られるだけの理由がある」とか言う始末挙句に信頼と好き嫌いを一緒にしてしまってた。好きだから信頼する。嫌いだから信頼しない。もう無理と離れました。
確かに好き嫌いで評価するダメな上司もいる。でも、自分の実力を勘違いして、文句ばかりいう人もる。そういう人はそこから離れて違う場所に行っても、結局同じことの繰り返し。
気に入られるのも大切
気に入られることも仕事のうち、と割り切るべき。わざわざ戦って勝てるほどの能力ではないなら。
圧倒的な実力差が無ければ、多少劣っていても世渡り上手の方が出世する。それもある意味実力と言えるかもしれないが‥
評価しているようでしていないことも
ウチの上司は逆に高い評価をし、面談では今後の待遇についてもかなり期待を持たせるクセに、待遇は一切変わらない。今になって気付いたが、ただただモチベーションを上げてヤル気を起こさせるための評価のようだった。
提案してみる
公平な評価とは数値で表せるものによること、営業なら売上や契約件数など。しかし数値で表せる仕事ばかりではないため、年齢や労働時間という数値が来てしまう。もし自分が不当な評価をされていると思うなら、会社への貢献度を数値化する方法を自分で提案するしかない。
主張しすぎると余計に評価は下がる
思うような評価をしてもらえない時は『私の良さがわからないなんて』と思いつつ適度に諦める。ここで我を通しても評価は逆に下がる。そして評価してもらえる時には『私なんてまだまだ』と思うようにしてる。評価されても周り(特にお局ババア)からのやっかみを受けて嫌な思いもするから、評価なんて程々がいい…と最近思う。
うちも社畜が評価される。真っ当な意見でも、上に歯向かうと出世は終了。経営陣の能力は株価とROEに色濃く反映されるけど、まあ、どちらも目も当てられませんよ。社畜の成り上がり集団だから、馬鹿がウジャウジャ。数字が証明している。東証一部の会社です。
自己評価と他社評価は違う
自分が思っている自分と、他人が思っている自分とには違いがある。人事考課となれば、定量化されていない部分が多い評価基準や、相対的な評価という事で、自己評価と上司の評価は一致しない事が大半と思われる。他人から評価されることだけが人生じゃない、と心に言い聞かせて、自分の幸せを探している今日この頃・・・。
「評価は自分が決めるものではなく相手が決めるもの」まさにそのとおり。自分を自分で評価するのは愚行でしかない。一番客観的な評価が出来ない人間なのだから。上司は見ていないようでちゃんと見ている。「自分はもっと高く評価されるべきだ!」という人間は、自己愛が強く他者と自分との客観的比較がてきないことを知っている。自分は管理職で評価する側だが、幸い自分の部下にそういう人間はいない(実際にはいるかもしれないが)。逆に自己評価が低い人間が多くて困る。高く評価して給与が上がっても「本当にいいのでしょうか?」と。そのときに「評価は自分が決めるものではなく相手が決めるもの」という言葉を使う。また、難しい仕事を任せようとすると「自分の力では厳しいです…」と。そのときにも同じ言葉を使う。
相手の立場で考えること
いかに相手の立場で考えられるかが最大のポイント。自分がやりたい事、自分が言いたい事を言って満足してる人が多い。相手の視点に立てない仕事をされても、評価しようがないよね。それはただの自己満足に過ぎない。
努力の方向性が間違っているかも
人が人を評価するのですから、間違った評価になることもあるでしょう。ただ、ずっと努力しているのに評価されないという人は努力の方向性が間違っているか、自分の努力の閾値が低いかのどちらかです。なぜなら、上司も人から評価される身ですから、自分の利益となる人は無下にしないはずですし、自分の有益な部下であれば多少の性格の不一致など目を瞑るはず。
結果で勝負すること
確かに評価する上司も人なので、多少の選り好みはあると思う。でも、評価されたいのであれば、圧倒的な結果で勝負するしかない。それができないなら、評価は期待しない方が良い。
正直、評価者も人間。中にはどうしょうもない人もいるので、気にしないことも大事。ただ、中には時間のかけ方や努力の仕方が独りよがりで不満をためてる場合もあるので、自分に求められてること、「相手にとって」期待以上は何かを考えることも必要。
評価されるのが、目的になってるのであれば、会社の利益になるか、損失を抑える成果を出すしかない。会社が大きくなればなるほど、業務は分割されるが、利益確保か損失抑制のどちらかはあるはず。単にルーティンワークを熟すだけでは、評価はされない。自分の業務ではないと自己判断しすぎると、ルーティンワークを熟しているだけと、判断されるよ!部署全体の業務を理解しようすれば、何をすべきか理解出来、自然と評価は上がるけど、自分を知らないと、逆もあるよ。
評価はあとからついてくる
評価されることを仕事の目的にしたら、結局、大した成果など得られない。自分が意識しているほど、他人から注目されていることは少ない。仕事の目的は、あくまでも組織の利益に貢献すること。評価は後から付いてくるものだとと思う。
評価は自分ではなく相手が思うこと。自分本人は評価を気にせずがむしゃらに頑張る事。評価は直ぐにはよくならない、1年、2年と後からついてくる。人間的人格を信用、信頼されて評価がついてくるもの。
評価を期待しない
私は、社会人一年目のときに「社会人は褒められることはまずないと思え。その代わりが給料だ。」といわれた。ちゃんと仕事をしていれば、褒められる代わりに給料がもらえる、、、と理解した。まあ、現実は仕事まともにしていなくても給料もらっている方も多いが。ということで、自分は褒められることを期待していない。
評価を気にせず働くだけ
家族の為に頑張る=働く。評価される為に働いてるんじゃない。評価したいならさせておけばいい。そこに重点を置かないで、家族の為に余計なことを考えないで、がむしゃらに働けばいい。ただそれだけ。
評価が欲しいのではない
大抵は評価が欲しいのではなく、評価された結果、お金や地位が欲しいはず。評価自体が目的なら相手が正しいと考えて、悔しいと思わないだろうし。自分が正しいと思ってやっているのに評価されないなら、やっぱり場を変えたほうが良い。納得できないのに自分を変えて、何かを手に入れても、意味ないと思う。
自分で自分を褒める
「涼しい顔して完了させたけど、実はハードだったのよ」「前回はすごく時間がかかったけれど、今回はスムーズにできたわ」小さな変化が自分の成長だったりする。誰もほめてくれない。ポーカーフェイスで仕事する大人って辛いな…。自己肯定感で、自分をほめまくって生きていくしかないね。
自分も相手を評価する
上に評価されないと嘆く知人に愚痴られたことが最近あるが、そん時は「で、お前も部下がいるわけだが、ちゃんと評価で来てるの?」と問い返したな、、、自分も部下がいるときが人生では何度かあったが基本部下が期待するほどの評価はしてないと思う。昔、商社で引退まじかの上司に言われた言葉だが「上って言うのは部下が思う評価の3割くらいしてもらってたらましな方」とか言われたがそんなもんだなぁと自分が部下を持った時には思ったくらいだ。何かの歌の歌詞に「愛されたいと思うときは名もない花を愛しましょう」という歌詞があったが、自分が相手にあげられてないものを自分だけがもらえると思うのは「傲慢だ」という戒めなのでしょうね。まずはさ、上司のことをちゃんと自分が評価で来てるかも自分に解いてみたらいいんじゃね?評価してない相手からは評価されないと思うよ。
評価は他人がするもの。これは、新卒で入った会社の先輩に言われたなぁ。まぁ、自分自身の評価を他人にされるんだけど、その評価する人の評価は自分がするんだよなぁ。
場所が変われば評価も変わる
人を評価する前にその人の良さ(評価できる点)をどこなら活かせるかを考えるのも企業の役割なので気にする必要はない。またその会社の評価なんて場所が変わればリセットされるので大丈夫と言いたい。
画像の「名言」の最後2行に深く同意です。2年くらい(評価2周目)我慢してその部の上司に自分は評価されないなーと思ったのでサクッと異動希望出して希望の部に配属になったら案の定上司とウマが合うのか評価上がったし大切にしてくれてます。
離れるとこでよいことも
自分も精神病んじゃったくらい辛かった。そうなるくらいなら、転職先が見つからなくても一旦休むほうがいい
ほんとにそう思う。接客業なのに接客しないしわがままだから辞めさせたいだの、従う自分には期待してるだの言いながら実際はお局さま達に指示や教育ができないヘタレだった。店のため、期待に応えようと1年頑張っても昇給は10円程度でモチベも下がるだけ。やらない人の分まで背負わされてた上に、その人達が新人いじめをやらかしても反省や謝罪をさせられない会社にはいたくないと離れてよかった
それなりに頑張ってる人は評価されるとは思うけど、それでも評価されないなら上司に恵まれなかったと思うしかない。上司なんてそもそも聖人ではないし、贔屓はするし仕事の評価ではなく嫌いなやつは嫌いと位置づけるなんてことは普通にやる。日常生活でのモラルは部下の方がマシかもしれない。この言葉どおりそんな奴に付き合ったり、自暴自棄になるのは無駄なので本当に評価されたいなら他の場を考えた方がいい。
繰り返すとよくない
あなたの居場所は他にある。そして転々と移動した。そしたら居場所がなくなった。よほどのことがない限り移動するのは数回にしておこうそれ以上は単に出来ない人の烙印となる。
評価は会社だけではない
たとえ貴方の仕事が上司に評価されなくても、誰かが貴方を見ていてくれる。貴方の行った仕事でお客様が笑顔になってくれる。それだけでも良いのでは。
評価されないと厳しい現実も
今までは評価をされないことは昇給が少ない、もしくは給料が上がらないだったが、給料が下がる時代になった。生活者として、本当に苦しい。
評価よりも楽しむことを優先する
評価される為に仕事をしている訳では無いという事。仕事で結果を出しているにも関わらず、評価されないことなんて普通にあります。社内なんてそんなものと考えた方が良いのです。他人から自分の評価を期待する事より、自分自身で仕事が楽しいと思える事を増やしていった方が良いですよ。評価されなくても給料は貰えるし、評価されて給料が増えたとしても、たかだか知れています。それよりも、自分にとって楽しい事や楽しみを見つけた方が人生が開けていけますよ。
「評価は相手が決めるもの」確かにその通りですが、他人の評価の為に仕事をしてても面白くもない。どうせ評価が変わらないなら自分らしく自分のやり方で仕事をして行けばいいと思う。しかし給与やボーナス,昇進にも関わるし最近はコロナ過で評価の間違いを修正する事もなくなり上司1人の評価が全ての会社も多い。成果主義と言いながら上司の評価が成果と分かりづらい現状がここにある。
人に期待し過ぎるからストレスになる。案外他人ってそこまで見てくれていないのが現実。もっと自分自身の為に楽しめばいいと思う。自分の最初の上司がかけてくれた言葉に「頑張れば必ず結果に表れるし、そう思わないとやっていられない。また評価してくれる人は必ずどこかにいる」と。この言葉は心に刺さりました。目先の事ばかり囚われないで、もっと気楽に楽しめばいいと思う。自分は主任研修の時頑張って発言したら、人事担当常務の目に留まりましたよ。
楽しければ評価なんてどうでもいい。評価されないと辛いなら、それはやってて楽しくない仕事ってこと。ほんとにやりたい仕事についたとき、わたしはそう感じました。努力って思う時点で、本当はその仕事を好きじゃないんですよきっと。
もっと人生は楽しくなる
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