比べてしまうこの世界で、それでも自分を信じていくということ
「少しでも気を緩めたら、幸せの基準が自分の軸じゃなくなってる」
ある日、友人がそんな言葉をこぼした。
その瞬間、言葉にならないほど頷いてしまった。
まるで、自分の奥底を言い当てられたようで。
今の時代、SNSを開けば、すぐに誰かの人生が見えてしまう。
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幸せそうな結婚報告
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ハイセンスなインテリア
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充実した休日の過ごし方
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仕事での成功やキャリアアップ
他人の“今”が、日常的に自分の視界に入り込んでくる。
気を抜くと、心が勝手に比べ始める。
「あの人はあんなに充実してるのに、私は…」と。
自分の幸せの定義が、いつの間にか“誰か基準”になっている。
この感覚、きっと誰しも一度は覚えがあるのではないでしょうか。
📱「見える」世界が増えた分、心は揺れやすくなった
昔は、他人の暮らしなんてそう簡単には覗けなかった。
見えるのは、近所の様子や、職場の人のちょっとした話題くらい。
だけど今は違う。スマホを開けば、世界中の“キラキラした一部”が無限に流れ込んでくる。
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同世代の人のキャリアがうらやましくなったり
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自分より若い人の成功に焦ったり
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笑顔の家族写真に、自分の寂しさを重ねたり
もちろん、誰かの幸せを素直に祝えることもある。
けれど、心が少し疲れているときほど、他人の光は、時に自分を責める刃にもなってしまう。
他人の幸せと、自分の幸せはまったく別物だと分かっていても──
心はそう簡単に整理がついてくれない。
🧭「自分の軸」って、何なんだろう?
“自分の軸で生きる”という言葉はよく聞くけれど、
実際には、それを保ち続けるのは想像以上に難しい。
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周りと同じようにしていないと不安になる
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誰かと比べて、自分が遅れている気がしてしまう
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自分のやり方を信じきれない
“自分らしく”ってなんだろう?
“自分の幸せ”って、どこにあるんだろう?
そんな問いが浮かんでくるのは、
自分の中にちゃんと軸があるからこそ、ブレを感じるのかもしれない。
本当に何もなければ、揺れることすらない。
揺れている自分に気づいたとき、
「あ、私はちゃんと自分を持ってたんだな」と、
むしろ安心してあげてもいいのかもしれない。
🌿軸がブレることは、悪いことじゃない
いつもまっすぐでいなきゃ。
ずっと自分の価値観だけで歩かなきゃ。
そう思いすぎると、かえって自分を追い込んでしまうこともある。
たまには迷ってもいい。
他人と比べて落ち込んでもいい。
自分の基準がぐらついても、それは**“成長の途中”**なのだから。
ときにブレるというのは、いろんな角度から自分を見直すきっかけでもある。
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他人の選択を通して、自分の価値観を再確認したり
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憧れを感じたことで、自分の望みに気づいたり
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比べた末に、「やっぱりこれでいい」と思えたり
揺れながら、心の芯を育てていくことこそ、本当の“自分軸”なのかもしれない。
💬他人の人生は“その人だけの物語”でしかない
SNSで見える幸せは、その人の人生の「切り取り」でしかありません。
そして、その切り取りは、たいてい“見せたい部分”だけで構成されている。
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つらい失敗の瞬間は載せない
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人間関係のもつれは表に出ない
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不安や後悔は映さない
見えているのは「編集された現実」です。
それを“自分の今”と比べることに、何の意味もない。
他人が幸せそうに見えるときこそ、
**「これはその人の人生の物語。私とは別のページ」**と思い出してあげること。
他人の人生をスクロールする指を止めて、
自分の心に戻ってくる練習を、少しずつしていきましょう。
✨“まっすぐじゃなくても、自分の人生”に価値がある
誰とも比べないで、自分の幸せにだけ集中できたら理想かもしれない。
でも、現実には比べてしまうこともあるし、心が揺れる日もある。
それでも、ブレながらも自分の道に戻ってこようとする姿勢こそ、
本当の「自分を生きている」証です。
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遠回りでもいい
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迷って立ち止まる日があってもいい
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答えが見えなくても、考え続けていることが尊い
まっすぐじゃなくていいんです。
道が曲がっていても、立ち止まっていても、
ちゃんと“自分の人生”を歩いていることに変わりはありません。
📝最後に
「少しでも気を緩めたら、幸せの基準が自分の軸じゃなくなってる」
そうやって気づける人は、もうすでに“軸”を持っている人です。
揺れながらでも、ちゃんと自分を見つめている。
他人の光に照らされながらも、自分の輪郭を描こうとしている。
それだけで、十分すごい。
“自分の軸”は、真っ直ぐじゃなくていい。
少し歪んでいても、揺らいでいても、あなたのものです。
そして、あなたの“幸せ”は、
他の誰とも違う色と形をしていていいんです。
どうか、自分のペースで、自分の軸を見つけていってください。